地獄

決して見晴らしの良くない、雑記。

最近は専ら老後のことを考えていたい

全部がめんどくさい。着実に社会に迎合していっている自分がおかしい。笑える。100万年くらい同じような事をずっと考えて考えて死ねればよかった。だってむしろそれは何も考えていないことと同じじゃんね、なんて。何を言いたいのかわからなくなった。

最近、涙腺が緩んできているのも、家族に不意に感謝を伝えたくなるのも、死ぬとしたら今年だという漠然とした考えが現実味を帯びだすようで気疎い。

 

嵐の前の

ふと音楽を聴きながら、死について考える。

私が最近好んで聴いている歌手はもうこの世に居ない。同い年だった。

先日、飼っている文鳥が亡くなった。11年。大往生だった。

年明けはもしかしたら、死ぬなら今年かもしれない、なんて馬鹿なことを考えていた。今は全てが正のベクトルへ傾いている気がして、そういうのはなんか少し怖い。家族に感謝を伝えることや、日々を丁寧に過ごすことは確かに大切なことではある。

躁鬱の躁である気がしてならない。体重はここ3年くらいで1番軽くなった。白湯を飲むくらいのことしかしていないし、それでもまだ重いのだが。

このように文章をつらつらと書けるのもあまり良くない気がしている。

好転の兆しなのか、はたまた地獄への扉が開きかけているのか、なんとも判断し難く薄気味悪い。

独り言が増えたのも何か関係があるのだろうか。

統合が失調しかけている?

 

 

本当の本当に終わり

題名?と言うのだろうか、上にある本当に本当の終わりというのはコピーアンドペーストしたものだ。

何もかもがダサすぎる。虚栄心があったのは認めるが、私は至って虚言癖ではない。このことを理解されなさそう。

こんなくだらないことで生死とか考えられちゃう短絡さは今後どう転ぶのか。

圧倒的に語彙が足りない。いや、語彙だけではなくて文章を書く能力か。再三言っているが。

無いのだ、私にはまるで。何もかも。何かがあった試しがあるか?と問われたらそれは終いなのだが。

小説のように生きることがしたい。したくて堪らないのに、ここに書いているのはチラ裏の落書き以下という始末。というより、圧倒的につまらないのは私が官能小説を読まなかったせいなような気もしている。読んでみようかな。

一様に便所の落書きは馬鹿にはできない、と誰かに怒られてしまいそうだな。それでもいいのでフィードバックが欲しい、なんて。

一生の思い出。思い出すごとに反芻して咀嚼してグダグダになったそれはずっと綺麗なままだろう。粗は消えるので嫌なこともなくなる。きっと。もう二度とは会わない、と決心はできない。まだどこか期待も拭えない。いや、微々たる希望のようなものを残しているのはあえてだ。全くも無くなってしまうことに耐えられないかもしれないからだ。

バチがようやく、やっと、私にあたってくれたらしい。

このことについて一生後悔することとなる。おそらく、今できることは多々あるが、もう足掻くようなことはしたくはないのだ。惨めになるだけのような気がするからだ。

綺麗な上澄みだけを糧として生きていく。一生ってどれくらい長いのだろうか。事あるごとに思い出してしまうのはきっと彼も一緒だ。そうであってほしい。そうであってくれ。

季節外れの蚊

人と会う約束がなくなったので今の今まで寝てしまっていた。耳元で若干低い羽音が聞こえた。ハエでも飛んでいるのか、と思った。とても煩わしかった。こんな時期に蚊なんて居るのか。しかし手首が痒い。居たようである。何故こんなにも何もかも不快なのか。蚊。今年は割と蚊が少ない方だと思っていたのに。年に一度以上は羽音に苛まれ、飛び起きる夜がある。羽音と痒みさえなければ血なんて幾らでもくれてやるのになぁ。というかもう今すぐその不快な羽音、痒みを無くしてくれ。さもなくば存在を抹消してくれ。

瑣末なことに神経を使ってしまっている。余裕がないのだ。思ったより私はナイーブだし、よりセンシティブな時期であるようだ。今は。

経年劣化 どうでもいい話

よく人に、殊更見た目に対して劣化という表現が使われているのを目にする。私はこの文脈で使われるこの言葉があまり好きではない。というより、劣化したと批評している本人も例外なく劣化していくのによくもそんなことが言えるなと思ってしまう。人が歳を重ねて変わっていくのは自然の摂理。時間に関わることはこの世に存在する数少ない真の平等。

それはそうと、強烈に劣化というものを身をもって実感したついさっきの出来事。

大学一年生の頃のツイッターのアカウントを見返していると、これは自分が書いたことなのかと疑う程に言いたいことをスマートに呟いていた。その頃の自分の精神世界はもう思い出せない。物質的には勿論、マインドの部分でもかなり別人になってしまった。その頃の自分を凄いと思ったし、羨ましいとも思った。

全てが劣化したわけではなく、良くなった部分もあるのだ。例えば、コミュニケーション能力とか化粧の仕方とか。当時の自分は今より一層ロクな人間関係を築けていなかった気がする。

しかし、語彙や文章構成の能力は明らかに劣化した。

おそらく二度とは戻れない2015年。今が全て1番ではないのが心残り。こう言うことが増えていくのは辛いな、人生。

27クラブ

人差し指の爪を深爪、または二枚爪の状態にしてしまうことがままある。今もそう。

最近はもっぱら浮かれているが、いつかバチが当たるのではという漠然とした不安に苛まれつつまだ生きている。大成したミュージシャン、俳優は27で死ぬといった話が好きだ。私は27までは死なないことにしたいなぁと思う。